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健康祈願のマントラ(真言)

ナタラージャ(踊るシヴァ)像

●画像引用 Wikipedia

大自在天印

 上記の図は、真言密教における大自在天(シヴァ)の印契です。

 密教では、手に印を結び、祈願の対象となる神仏をイメージしながら真言を唱えることを三密加持と言います。

  マントラ(真言)を唱える際には、三密を心がけるとより呪力が強くなるそうです。

 

 なお、大自在天とはシヴァの異名であるマヘーシュヴァラ(サンスクリット語:महेश्वर/Maheśvara)の漢訳名です。

 

●画像引用 密教秘印大鑑

薬師如来像

●画像引用 Wikipedia

薬師印

 上記は薬師如来の印契です。

 

●画像引用 密教秘印大鑑

 コロナウィルスが席捲している昨今(2020年3月時点)、健康に不安を抱いている方も少なくないでしょう。

 未だこのウィルスに対する特効薬も開発されていない状況なので、今のところ最大の頼みの綱は個々人の『免疫力』です。

 故に以下の健康祈願のマントラをご紹介しましょう。

 ちょっと健康に不安を覚えた時、心の中でも唱えてみてはいかがでしょうか。

 今回はヒンドゥー教系と仏教系の2種類を用意しました。

 

①マハームリティユンジャヤ・マントラ


 ヒンドゥー教の主神の1柱――シヴァ神に健康・長寿を祈るマントラです。

  シヴァはその前身である暴風神ルドラの時代から医療神としての相がありました。

 この神は死神ヤマ(閻魔大王)をも調伏し、『死ぬ運命(さだめ)』にあった信者を救ったという神話まであります。
 つまり『死の運命』を強制的にキャンセルさせたという逸話に基づくマントラです。
 同様の逸話は、仏教の不動明王(シヴァがルーツといわれる仏尊)にもあります。(詳細は後述)

 

 先に紹介した戦いの神ニヌルタにも医療神としての性質がありますが、古代では悪霊が病気の原因と考えられる傾向があったため、シヴァやニヌルタのような強い神に悪霊を払ってもらい、病気を治そうという思想がありました。

 また、シヴァは『再生の神』という性質も内包していますので、求めれば生命力を与えてくれるとも考えられたのでしょう。

 そんなシヴァに健康を祈願するマントラは以下の通りです。
 

 ॐ त्र्य॑म्बकं यजामहे सु॒गन्धिं॑ पुष्टि॒वर्ध॑नम् ।
 उ॒र्वा॒रु॒कमि॑व॒ बन्ध॑नान् मृ॒त्योर्मुक्षीय॒ मा ऽमृता॑त् ।

 (デーヴァナーガリー文字)


 oṃ tryambakaṃ yajāmahe sugandhiṃ puṣṭi-vardhanam
 urvārukam iva bandhanān mṛtyor mukṣīya mā 'mṛtāt

 (サンスクリットをローマナイズ化した文字)
 

 オーン トゥリヤムバカン ヤジャーマヘー

 スガンディン・プシュティ・ヴァルダナム

 ウルヴァールカミヴァ バンダナーン・ムリティヨール・

 ムクシーヤ マームリタートゥ

 (発音)

 

 

 

②薬師如来の真言

 

 大乗仏教における医療を司る仏――薬師如来の真言です。

 なお、真言とはマントラ(मन्त्र/Mantra)の漢訳であり、意味は同じです。

 マントラの意味は『真実の言葉』など色々と語られていますが、とりあえずサンスクリット語で唱える呪文だと解釈してよいでしょう。

 

 『薬師本願功徳経』では、薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主であり、衆生の疾病を治癒して寿命を延ばし、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓った仏と説かれています。

 こうした性質からか、如来には珍しく現世利益信仰を集めています。

 その真言(小咒〈注1〉)は以下の通りです。
 
 ॐ हुरु हुरु चण्डालि मातङ्गि स्वाहा


 oṃ huru huru caṇḍāli mātaṅgi svāhā

 

 オーン フル フル チャンダーリ マータンギ

 スヴァーハー

 (サンスクリット式の発音)

 

 オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ

 (日本での一般的な慣用音の発音)

 

 

 マハームリティユンジャヤ・マントラは長いので憶えるのが面倒という方、あるいは『カーラ・ヴァイラヴァ』など恐ろしい相もあるシヴァは苦手と感じる方は、薬師如来の真言をおすすめします。

 ただ、ブログ主の個人的な意見としては、より強力なのはシヴァのマントラだと思います。

 

 上記はインド系の呪文でしたが、カバラなど西洋系魔術の呪文などもいずれご紹介したいと思います。

 この記事が皆様のお役に立てれば幸いです。


【注釈 1】

 

■注1 小咒

 『咒(呪)』とは真言のことであり、小咒とは短めの真言のこと。

 その長さに応じて小咒・中咒・大咒という呼び方がある。

 また、より長い真言は陀羅尼(ダーラニー/梵:धारणी/dhāraṇī)と呼ばれる。

カ-ラ-ンタカ(死と時間の征服者)

■カーラーンタカ(サンスクリット語:कालान्तक/Kālāntaka)

 

 カーラーンタカは死神カーラ(ヤマ)を調伏する者としてのシヴァの名前です。

 上記の画像はヤマの縄が、シヴァ・リンガに引っ掛かってしまった際に、シヴァが出現する様子を描いています。

 画像の左側には、シヴァ・リンガに縋るマールカンデーヤが描かれています。

 

●画像引用 Wikipedia

 上記はエローラ石窟群の彫刻の1つです。

 シヴァが三叉戟(トリシューラ)で死神カーラ(ヤマ)の脇腹を突き刺し、腹部に足蹴を食らわし、剣でとどめを刺そうとする雄姿を描いています。

 シヴァの足下には、両膝を突き、熱心にシヴァ・リンガを崇拝するマールカンデーヤが小さく描かれています。

 

●画像引用 ヒンドゥーの神々

 先述の『マハームリティユンジャヤ・マントラ』に纏わるインド神話を紹介したいと思います。

 これはシヴァがヤマを調伏した物語でもあります。

 

 聖者のムリカンドゥは長い間子供ができなかったので、シヴァに子供が授かるよう祈っていました。

 するとシヴァが現れ、「多くの長生きな馬鹿息子と1人の賢い息子のどちらが欲しいか」と尋ねました。

 しかも賢い息子の場合は、16年しか生きることができないと付け加えました。

 それでもムリカンドゥは賢い息子を望み、やがて彼の妻は息子を生みました。

 この子供はマールカンデーヤと名付けられ、非常に賢い少年となりました。

 ただ彼の両親は次第に悲しむようになりました。

 愛息子が短命であることを知っていたからです。

 マールカンデーヤは両親が悲しむ理由が知ると、有名な聖地を巡り、供物を捧げようと決意しました。

 この時、ブラフマーが出現し、マールカンデーヤに教えた呪文が、前述の『マハームリティユンジャヤ・マントラ』です。

 

 やがてマールカンデーヤはシヴァ・リンガが崇拝されている聖地――南インド・タミルナドゥ州のティルカダイユル寺院に辿り着き、そこでリンガを熱心に崇拝しました。

 寿命の時が来ると、死神カーラ(ヤマの異名)の使者がマールカンデーヤの魂を縛り、主人のもとへ連れ去ろうとしましたが、彼がシヴァに祈りを捧げているため近づくことができません。

 使者がこの状況を報告すると、今度はカーラ自らが寺院にやってきました。

 そこまでするとは、カーラにも冥界の神としての面子(メンツ)があるということなのでしょうか。

 カーラはマールカンデーヤにシヴァ崇拝を止め、運命に従って一緒に冥界に来るよう命令しましたが、彼は拒否しました。

 するとカーラは恐ろしい形相で怒り、マールカンデーヤを縄で捕えようとしましたが、その際に縄がリンガに触れてしまいました。

 この直後、突然シヴァが出現。

 シヴァは三叉戟のトリシューラをカーラに突き刺し、足蹴にしてこの冥界神を殺しました。

 こうしてマールカンデーヤは九死に一生を得るどころかシヴァに祝福され、短い寿命も帳消しにされて永遠に生きられるようになりました。

 

 これで「めでたしめでたし……」と物語は終わらなかったようです。

 カーラ、すなわち冥界の神であるヤマが死んだことで、地上においては邪悪な者たちまで死ななくなってしまったのです。

 これに困った大地や神々、そして助けられたマールカンデーヤまでもシヴァにヤマの復活を依頼します。

 これを受け、シヴァがもう一度その足で触れると、ヤマが蘇生しました。

 こうして世界は元通りの状況になったというわけです。

 このようなオチが付いているところが、インド神話らしいという感じでしょうか。

 

 この物語のおける死神カーラは、『アタルヴァ・ヴェーダ』では万物の根本原理とみなされました。

 サンスクリット語のカーラ(काल/kāla)には、『時間』『死』『黒』などの意味があります。

 古いインド哲学では、このカーラが宇宙を創造し、展開させると考えられたのです。

 そしてカーラは、『リグ・ヴェーダ』ではヤマの異名として記されています。

 

 シヴァがカーラ=ヤマを調伏したこの物語は、シヴァが生死を司る存在を超越した最高神になったことを示しているといわれています。

 さらにシヴァ信者にとっては、『マハームリティユンジャヤ・マントラ』と絡め、『死』と『サンサーラ(輪廻)』の呪縛から解放されることも意味する重要な神話ともなるのです。


泣き不動

不動明王

 不動明王はサンスクリット語でアチャラナータ(अचलनाथ/acalanātha:『不動の守護者』の意味)といい、この名前はヒンドゥー教の神シヴァの別名の1つです。

 原理主義的な仏教徒からは、シヴァ=不動明王説は否定される傾向にありますが、おそらくは『シヴァの修行者としての相』を仏教の守護者として取り入れた神格だと思われます。

 

●画像引用 Wikipedia

成相寺の閻魔像

 インド神話のヤマは、仏教に取り入られて閻魔天(焔摩天)となりました。

 一般的に冥界(地獄)神と考えられるヤマですが、天界にも所属し、六欲天の第3天である夜摩天に住むとされます。

 夜摩天は神々の王とされる帝釈天(インドラ)の住居『忉利天(第二天)』より上位の天であり、ヤマの地位の高さが推し量れます。

 

●画像引用 Wikipedia

 シヴァとヤマの間で『死の克服』に関する物語があったのは先に述べた通りですが、この系統の話が日本にもあるのです。

 それは『泣不動縁起』として伝えられ、能曲にもなっています。

 物語のあらましは以下の通りです。

 

 熊野から松島平泉を目指して旅をしていた山伏が、近江(現滋賀県)にある三井寺(園城寺)に差しかかりました。

 三井寺は不動明王信仰で有名であり、山伏はこの仏尊を拝もうと護摩壇に入りました。

 そこで一心に念誦していると、寺の近所に住むという人物が、その声に引かれて訪ねてきました。

 すると山伏が『泣き不動』の謂れを聞かせてくれと頼み、『近所の人』は昔話を語り始めます。

 

 ある時、三井寺の高僧――智興内供(ちこうないぐ)が病気にかかりました。

 智興は弟子たちに未だ叶っていない5つの大願があり、それが心残りだと口にします。

 師の心残りを聞いた弟子の証空(しょうくう)は、不動明王に身代わりの誓いを立てると、忽ちに願いが成就して智興の病気は彼に移りました。

 これで証空は死を覚悟し「最期に不動尊にお暇を……」と持仏堂に入りました。

 すると、病気の苦しみで夢うつつの中、不動明王が彼の前に現れます。

 不動明王は涙を流しながら証空の優しさと意志を強さを称賛すると、自分が彼の身代わりになると申し出ました。

 この時、すでに魂が肉体から離れかけていた証空ですが、不動明王のお陰で蘇生しました。

 

 『近所の人』はここまで語ると、自分が実は不動明王の眷属の童子であることを明かし、不動明王像の影に隠れていきました。

 そして山伏にその後の顛末を夢の中で再現させます。

 

 『死の定め』だけは不動明王でも覆せず、身代わりとなった不動明王は証空の姿となって地獄にやってきます。

 事情を何も知らない地獄の鬼神(獄卒)たちは、閻魔大王の前に証空の姿をした不動明王を引き立てました。

 そして彼に生前の罪を映し出す『浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)』を翳しましたが、初めは何も映りません。

 鏡を翳したままでいると、やがて見えてきたのは不動明王の姿です。

 これには鬼神達はもちろん閻魔大王までも驚いて慌てふためき、地に伏して不動明王に非礼を詫びました。

 そして最後に不動明王のご利益を称え、物語は終わります。

  

 上記の能曲の元になった『泣不動縁起』絵巻では、不動明王は変装しません。

 明王の姿のまま獄卒達に鎖で繋がれて閻魔庁へ赴くのです。

 さらに地獄の獄卒や官吏の驚愕した様子が描かれ、閻魔庁においては閻魔大王が不動明王に気づいて慌てて壇を下り、礼拝するという形になっています。

 

 この物語は、人間側の視点で見れば死すべき人間が誰もいなかったので『よい話』で済みますが、地獄側の視点で見れば人間の死者(の魂)を回収できなかった上、代わりにやってきた不動明王を裁くこともできないので、面子が潰された感があります。

 

 ヒンドゥー教のシヴァと仏教の不動明王――宗教は異なりますが、元は同じ神格といわれる両者において、『ヤマ(閻魔大王)と絡む蘇生物語』があることはとても興味深いです。

 両宗教は共に、シヴァ・不動明王を『死を克服する存在』として考えていたのかもしれません。

 

 不動明王=シヴァと仮定してこの物語を読むと、地獄で不動明王の姿を目にしたヤマ(閻魔大王)が、かつてマールカンデーヤの件でシヴァに殺されたことを思い出し、恐怖で慄く姿を想像できます。

 この時のヤマ(閻魔大王)は、「たかが1人の人間のためにまた殺されるのは御免だ」とでも思ったかもしれませんね。


『死の超越者』と『冥界の神』の対立

ジャムシード(イマ)

 ゾロアスター教の神話に登場する聖王イマは、ペルシア語では『ジャムシード』と呼ばれています。

 イマはインド神話のヤマ(閻魔大王)と共通のルーツを持つ人物です。

 インド神話のヤマは、冥界神になる前は『最初の人間』とされています。

 一方、ゾロアスター教神話のイマは、旧約聖書で言うところの『ノア』の役割を果たす人物です。

 言うなれば『旧世界(超古代文明)の最後の人間』となるので、インド神話との対比は興味深いところです。

 あるいは、ヤマは『旧世界』が滅びた後にできた『新世界における最初の人間』ということになるのでしょうか。

 

 ゾロアスター教の神話では、氷河期が到来した際にイマが神より啓示を受け、巨大地下施設『ヴァラ』を建設したと記されています。

 イマに選ばれ、ヴァラに避難できた人間たちはその中で楽園のような生活を送ったそうですが、疾患持ちや貧乏な人間たちは(例え人格者でも)ヴァラに入ることはできませんでした。

 

●画像引用 Wikipedia

 ここで一点疑問があります。

 何故シヴァやシヴァに関係する神格(不動明王)は、ヤマ(閻魔大王)の掟を破るように(信者である)人間の命を助けたのでしょうか。

 死すべき人間を助けるという行為は、人間側から見ればとてもありがたいことです。

 ただ、『自然界の理(ことわり)』には背いているようにも思われます。

 

 シヴァと不動明王は、ヤマ(閻魔大王)よりも遥かに上位の神格に当たります。

 このような神仏の目から見て、ひょっとしたらヤマには公正な裁判官とはいえない部分があったのではないか――複数の神話を比べてきたブログ主は、その可能性を考えました。

 

 ヤマは、インド・イラン共通のアーリア人の神話に遡る古い神格であり、ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』では聖王イマの名前で呼ばれています。

 このイマは公正で理想的な王とされていますが、世界を滅ぼすほどの破滅的な氷河期が来た際、人格の善悪に関係なく社会的な弱者を見捨てました(『洪水以前の世界 その6 ゾロアスター教の神話(イラン神話)』参照)。

 イマ=ヤマ(閻魔大王)より上位の存在であるシヴァ・不動明王は、王でありながら自分の民を守らなかった彼の政治姿勢をよく知っていたため、敢えてヤマの掟を無視して自分の信者たちを守っているように思えます。

 

 あるいは、シヴァからしてみれば――「自分の民すら見捨てたお前(イマ=ヤマ)に、誰かを裁けるような資格があるのか」——と暗に問うているようにも見えます。

 

 生死を司る神でさえ絶対的に正しいわけではない――蘇生に纏わるシヴァと不動明王の物語には、ひょっとしたらそんな意味が隠されているのかもしれませんね。

 

 以上でこの記事は終わりです。

 ここまで読んでいただいた皆様に心から感謝致します。 


参考・引用

■参考文献

●ヒンドゥーの神々 立川武蔵他 著 せりか書房

●画像引用 密教秘印大鑑 白日孔 監修 八幡書店

●梵和大辞典  荻原雲来 編纂 講談社

 

■参考サイト

●Sita★Rama

●Wikipedia

●ピクシブ百科事典

●コトバンク

●寺社巡り.com

●浄土宗大本山 清浄華院

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