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【短編】日ユ同祖論とフェニキア人

カルタゴの国章(左)

カルタゴの墓石(右)

 カルタゴの国章は、地母神タニトのシンボルであり、カルタゴ(現チュニジア)の墓石(トフェ墓地)にも彫刻されています。

 

●画像引用

・Wikipedia(左)

・マーヴェリックの海外旅行写真集(右)

甲斐銚子塚古墳(左)

マナの壺(右)

●画像引用

・古墳図鑑(左)

・日本とユダヤのハーモニー(右)

 『日ユ同祖論(簡単に言うと日本人〈縄文人〉の祖先がユダヤ人だという説)』はよく聞きますが、古代ユダヤ人と極めて近かった(というかほぼ同じ民族)フェニキア人(=カナン人)と日本人が同祖だという説は余り聞かないのは何故でしょうか。

 フェニキア人とは、古代において屈指の航海術を誇った海洋民族であり、これに関連して優れた商人、凶悪な海賊としても知られていました。

 

 古代ユダヤ人とフェニキア人の関連について、まず文字を見てみましょう。 

 古代ヘブライ文字フェニキア文字の形は、ほぼ同じです(下画像参照)。

 ユダヤ教の神であるヤハウェの神名も『𐤉𐤄𐤅𐤄』と最初はフェニキア文字(古代ヘブライ文字)で書かれていましたが、『楔形文字(ユダヤ人の祖アブラハムの故郷とされるメソポタミアの都市ウルの文字)』や『ヒエログリフヒエラティック(2つともカナンの前に古代ユダヤ人で住んでいたとされる時代のエジプト文字)』で書かれたことは1度もありませんでした

 これは古代ユダヤ人の『実際のルーツ』を考察する上で重要です(旧約聖書創世記』の記述通りではないということ)。 

 

 続いて前方後円墳について。

 日ユ同祖論では、前方後円墳の形の元ネタをユダヤ人の神宝である『マナの壺』に求める説がありますが、左上の画像を見てください。

 この形――前方後円墳によく似ていると思いませんか?

 

 画像はフェニキア人の国家カルタゴの国章であり、地母神タニトのシンボルです。

 タニトは、ウガリット神話=カナン神話の女神アスタルトと習合した女神であり、シュメール神話の女神イナンナの系譜に当たります。

 タニトのシンボルはカルタゴにおいて『墓石』に彫刻されており、さらにフェニキア人は古代エジプトと盛んに交易を行っていたので、巨大ピラミッド(『大きな墓』と思われていた巨石建造物)をその目で見ていたはずです。

 

 宗教的にも、排外的なヤハウェ崇拝(古代ユダヤ教では一神教ではなく拝一神教だったと思われる)より、カナン地域の多神教的な宗教の方が、神道との親和性が高いでしょう。

 

  前方後円墳を『墓』と解釈するなら、そして古代日本の支配層のルーツを古代オリエントに求めるなら、それはユダヤ人というよりもフェニキア人だと考えた方が適切〈注1〉ではないでしょうか。

 

 ただ、フェニキア人は人身御供の儀式〈注2〉を行ってきたことで古代から有名でした。

 古代日本人(主に古代朝廷の人々)との関連において、ユダヤ人ばかりクローズアップされてフェニキア人が無視されがちなのは、そんなフェニキア人と日本の皇室の先祖が結び付けられることについて、都合が悪いと思う人々がいるからかもしれない――陰謀論的にはこんなことを考えてしまうところです。

 

 もちろん、(日本人の起源として)古代オリエント説を排除したら、どちらの説も成り立たないですが……。


フェニキア文字と古代ヘブライ文字

●画像引用 Wikipedia

【注釈 1~2】

 

■1 フェニキア人だと考えた方が適切

 無論フェニキア人と共に古代ユダヤ人が日本に到来した可能性はあるが、このケースを仮定するならあくまでフェニキア人が主導だった可能性が高いと思われる。

 そもそも日ユ同祖論は、新アッシリアに滅ぼされたイスラエル王国(=北イスラエル)の民の話を根拠としているが、北イスラエルが(カナン人=フェニキア人と同じく)多神教的な傾向が強かったことは旧約聖書でも(否定的な意味で)記述されている。

 故に日ユ同祖論が事実だったとしても、バアル崇拝を中心とする多神教的なユダヤ人が古代日本に入ってきたと考えた方が妥当であり、ヤハウェ崇拝のユダヤ人はいたとしても多数派ではなかったと思われる。

 

■2 フェニキア人の人身御供の儀式

 フェニキア人(カナン人)は、バアルメルカルト(旧約聖書ではモロクの名前で知られる)、アスタルト、タニトなどの神々に数多くの人間の生贄を捧げてきた――その多くは子供だったという。

 国家存亡の危機においてのみ人身御供が実践されていたと、フェニキア人を弁護する学者もいるが、実際はそうでもないらしい。

 このことは旧約聖書において批判されていただけでなく、ギリシア人やローマ人も記録に残しており、考古学的にもその証拠を示す遺物が発掘されている。

 カルタゴにおいては、上流階級の人々だけでなく一般人も人間(子供)を生贄に捧げていたようだ。

 その効果があってかどうか、フェニキア人は経済的には繁栄した。

 名将ハンニバルを擁した第2次ポエニ戦争において、古代ローマに大敗を喫して領土の大半を失った時でも、カルタゴはローマへの高額の賠償金を繰り上げて完済した。

 だが、これによってローマの政治家たちに警戒され、カルタゴを滅亡させた第3次ポエニ戦争へと至ることになる。

 後世の黒魔術のルーツとも言うべき生贄の儀式も、戦争の勝利まではもたらさなかったようだ。

 フェニキア人は、自分たちの欲望に忠実な人々であり、国家間の戦争に当たってはまとまることができなかったことも、その原因と思われる。

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参考・引用

■参考文献

●フェニキア人 (世界の古代民族シリーズ)  グレン・E・マーコウ 著 片山陽子 訳 創元社

●興亡の世界史 通商国家カルタゴ 栗田伸子、佐藤育子 著 講談社

●ローマ人の物語 塩野七生 著 新潮社 

●古代オリエント集(筑摩世界文學体系1) 筑摩書房

●古代メソポタミアの神々 集英社

●古墳図鑑

 

■参考サイト

●AlphaZebra(Youtube) ※アングロサクソン・ミッションの動画

●アングロサクソン・ ミッション ビル・ライアン プレゼンテーション原稿 

●アングロサクソン・ミッション:証言者オーディオ・インタビュー原稿

●Wikipedia

●ニコニコ大百科

●ピクシブ百科事典

●コトバンク

●日本とユダヤのハーモニー

●マーヴェリックの海外旅行写真集