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戦乱期の新興宗教の運命 その3

後漢時代の特徴

張衡の地動儀(模型)

 画像は、後漢時代の学者『張衡(ちょうこう)』が作成したといわれる 『地動儀(地震計)』の模型です。

 これを見ると、後漢時代の文明レベルの片鱗が窺えます。

 

𒉡画像引用 Wikipedia

 前回の記事で述べた通り、今回と次回は後漢時代における以下の特徴について解説します。

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①科学技術の発展

②文学の発展と知識人階層の成立

③迷信(予言など)の流行

④偽善社会(思想との関連)

⑤(末期における)麻薬の蔓延と現実逃避

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 後の世界帝国『(とう)』に比べると、後漢はやや地味な印象があるのですが、歴史的な意義ではそれに勝るとも劣らないと、個人的には考えています。

 中国大陸において1つの王朝が成立したというだけでなく、この時代に起こった科学技術や文化の発展なども含めると、後漢とは、最初に中国の文明を築いた人々の集大成的な意味があったのではないでしょうか。

 後漢末以降の大乱で戸籍人口が激減――さらに『三国時代』『西晋(せいしん)』を経て『五胡十六国時代(ごこじゅうろっこくじだい)』になると、民族の入れ替わり(あるいは混血⇒人種的な大きな変化)が起こってしまうので……。

 

 今回は、上記の特徴うち、①~③までを取りあげたいと思います。

 洋の東西を問わず古代史を調べていつも感じることは、現代よりずっと環境が厳しく、入手できる情報が少ないながらも、工夫を凝らして文明を発展させてきた先人たちの凄さです。

 同時に、古代から現代まで変わらない人間の習性にも呆れ、「我々人類は古代から進歩しているといえるのか?」――と思うことが多々あります。

 

 現代が文明の大きな転換期であるなら、同様の状況だった古代史末期の歴史にも、今後の未来を探るヒントが隠されているかもしれません。

 歴史の学習を単なる趣味や過去への憧憬で終わらせないためには、こうした見方も重要だと、ブログ主は考えています。


①科学技術の発展

張衡を描いた切手

𒉡画像引用 Wikipedia

張仲景(左)/華佗(右)

𒉡画像引用 Wikipedia

蔡倫

 製紙法の改良者として、歴史において大きな影響を及ぼした蔡倫は、宦官でありながら有能な文官でもありました。

 しかし、彼を信頼していた『和帝(わてい)』やその皇后『鄧綏(とうすい)』が没すると、蔡倫は権力闘争に巻き込まれ、『安帝(あんてい)』の命令で毒死〈注5〉に追いやられました。

  

𒉡画像引用 Wikipedia

 後漢は、古代中国において科学技術が特に進歩した時代だといわれています。

 その事例を1つずつ見ていきましょう。

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𒅆天文学

 『安帝(あんてい)』から『順帝(じゅんてい)』の時代の学者『張衡(ちょうこう)/:平子(へいし)』は天文を研究し、『渾天儀天球儀の一種)』や『地動儀地震計)』を発明しました。

 彼は月食の原理を理解し、月の直径も計算したとされています。

 張衡の宇宙観としては『渾天説天動説の一種)』を考えており、複数の天文学書〈注1〉を著したそうです。

 

 また『緯書(予言・占いの書物)』の1つである『尚書緯考霊曜(しょうしょいこうれいよう)※著者不明』には、『四遊の説』と呼ばれる地動説っぽいこと〈注2〉が書かれており、後漢時代の人々の優れた知性を感じさせます。

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𒅆数学

 張衡は数学でも名を残しており、『算網論』という数学書を著したとされています。

 円周率では『π=3.16強』という近似値を算出しており、この成果は、インドやアラビアに比べても400年ほど早いことでした。

 

 書物としては、代に『九章算術(きゅうしょうさんじゅつ)』という数学書が著されました。

 263年(三国時代)に『劉徽(りゅうき)/の数学者』が本書の注釈本を書いているので、九章算術の制作年代は紀元前1世紀から紀元後2世紀頃と考えられています。

 この著者はわかっておらず、加筆・修正を経て次第に現在に伝わる形として完成されたとか。

 この算術書には様々な数学の問題が載っており、後には数学教育のテキストとして採用されました。

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𒅆医学

 医聖と称えられる『張機(ちょうき)/字:仲景(ちゅうけい)』が『傷寒雑病論(しょうかんざつびょうろん)』を著し、これが後々まで漢方医学の重要文献となりました。

※同書物は、後に『傷寒論(しょうかんろん)』と『金匱要略(きんきようりゃく)』に分割されました。

 

 この他、三国志でも有名な『華佗(かだ)/字:元化(げんか)』が、史上初の全身麻酔〈注3〉による開腹手術を行ったとされています。

 また、華佗は『屠蘇(とそ)/薬酒の一種』や『五禽戯(ごきんぎ)/体操の一種〈注4〉』の発明者とされています。

 なお、この華佗は、一説によるとイラン系の人種ではないかといわれています。

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𒅆技術革新

 後漢時代の産業において、特筆すべきは宦官の『蔡倫(さいりん)/字:敬仲(けいちゅう)』による製紙法の改良です。

 竹簡木簡・絹の布などに文字が書かれていた時代において上記を成し遂げた蔡倫は、実用的な紙の製造・普及に多大な貢献をしました。

 

 かつて、蔡倫は製紙法の発明者と考えられていましたが、前漢の遺跡から植物繊維由来の紙が発見されたことにより、現在では、実用的な紙の製造方法を定めた改良者と見なされているそうです。

 上記の紙は銅鏡を包む包装紙でしたが、2006年に発見された前漢時代に作られた(とされる)麻紙が、蔡倫よりも100年ほど古いとか。

 なんにせよ、情報媒体としての紙の普及には、蔡倫の業績がポイントになっていることは間違いないでしょう。

 

 製紙法の技術革新の歴史的意義は極めて重要であり、後の時代の全地域に影響を及ぼしました。

 以前から普及していた竹簡・木簡などの媒体とは比較にならいほどに小さいサイズで情報を詰め込める紙は、情報の伝達速度を格段に上げ、優れた文学や書物が地方に伝播するのに大きく貢献しました。

 以前に比べて情報が伝わり易くなったということは、大なり小なり、誰でも(機会と努力次第で)ある程度の教養を身に付けられるようになったことを意味します。

 紙の使用が一般化したのは唐になってからともいわれていますが、上流階級で紙が普及していけば、庶民にはそれ以前の主流媒体だった竹簡・木簡などが手に入り易くなり、社会全体の識字率を向上させたことも考えられます。

※教育を受けられたのは士大夫や富裕層が主流だったものの、近代になるまでの中国史において、後漢は(比較的)識字率が高い時代だったといわれています。 

 

 こうした文明の土台が当時の中国人だけでなく、後の人類全体の知的水準までも高めたことを考えると、製紙法の技術革新は、現代における情報機器(パソコンなど)の発明以上の成果といえるのではないでしょうか。  


【注釈 1~5】

 

■注1 複数の天文学書

 張衡は天文学書として『霊憲』『霊憲図』『渾天儀図注』を著した。

 そのうちの『霊憲』においては、月を球形と論じ、月の輝きは太陽の反射光だと記されている。

 

■注2 『四遊の説』と呼ばれる地動説っぽいこと

 『尚書緯考霊曜』には「地有四遊」という文言があり、これが『四遊の説』と呼ばれることがある。

 より具体的に地動説的なことが書かれているのは、以下の記述である。

 

 地恒動不止 而人不知 譬如人在大舟中 閉牖而坐 舟行而人不覚也

(大地は常に動いて止まることがないが、人がそれを知らないのは、例えて言えば、大きな船の中で窓を閉め切って座っているようなものであり、船が動いていても気づかないのだ)

 

 これを読むと地動説のことを語っているように見えるが、実は、星座の位置が変化する理由として大地の移動を唱えたくらいであり、現代的な意味での地動説とは異なるという意見もある。

 ただ、古代人としては『四遊の説』は進んだ見解といえるのではないだろうか。 

 

■注3 史上初の全身麻酔

 華佗は『麻沸散(まふつさん)』と呼ばれる麻酔薬を使って腹部の切開手術を行ったと伝えられている。

 

■注4 五禽戯(ごきんぎ)/体操の一種

 五禽戯とは、虎・鹿・熊・猿・鳥の動きの特徴をもとに編み出された健康法であり、導引の一種。

 現代では、導引は氣功の一種として宣伝されることもある。

 

■注5 『安帝(あんてい)』の命令で毒死

 安帝の父『劉慶(りゅうけい)』は皇太子を廃されており、本来、安帝は皇帝に成れる立場ではなかったが、先代の幼帝『殤帝(しょうてい)』が在位1年で崩御したため、皇帝として擁立された。

 安帝は、彼の父が皇太子を廃された理由を調査し、祖母の宋貴人(劉慶の母)が巫蠱の呪詛をしたという讒言により自殺に追い込まれたことを突き止めた。

 そして、当時(82年)宋貴人の呪詛が事実であるという報告を行ったのが、小黄門(宦官の職名)の蔡倫だった。

 このことを知った安帝は、蔡倫に廷尉(刑罰担当長官)への出頭を勅命した。

 

 士大夫は礼を守り刑には及ばない(礼記)――という考え方があり、出頭の勅命を帯びた使者は毒薬とともにこれを伝えるのが慣例であった。

 蔡倫もこれに従い、沐浴して衣服を整え、毒を飲んで死んだ。

②文学の発展と知識人階層の成立

班固(左)/班昭(右)

 『班固(はんこ)/字:孟堅(もうけん)』と『班昭(はんしょう)/字:恵姫(けいき)』は、歴史書『漢書』の編纂者です。

 漢書が未完成のまま班固が亡くなった〈注7〉後、それを引き継いで完成させたのが、彼の妹である班昭でした。

 

𒉡画像引用 Wikipedia

熹平石経残石

 画像は、後漢時代の石経(儒学の経典を刻んだ碑)の一部です。1922年に洛陽の太学の遺跡から発見され、同じ遺跡からは三体石経も見つかっています。

 後漢時代の学生たちは、こうした物を使って勉学に励んでいました。

 

 ちなみに、三国志の主人公の1人『劉備(りゅうび)/字:玄徳(げんとく)』も(場所は太学ではないものの)儒学者の下で学問を学んだとされていますが、彼の学生時代は(勉学よりも)乗馬・闘犬・音楽などを好み、見栄えのよい衣服で着飾ることに熱心だったようです。

 つまりは不良…………いえ、とても親しみのある人物ですね。

 

𒉡画像引用 Wikipedia

 前述した通り、製紙法の改良は、文書情報の伝達速度を向上させ、文学や教育などの様々な分野に影響を及ぼしました。 

 

 歴史では、初めての断代史としての正史漢書』が編纂されました。

※『断代史(だんだいし)』とは、1つの王朝の時代に起きた様々な出来事を記録する歴史書。 

 

 漢詩では、この時代に五言詩が成熟しました。

 後漢末期になると、三国志の暴君『董卓(とうたく)/字:仲穎(ちゅうえい)』もその才能を認めた『蔡邕(さいよう)/字:伯喈(はくかい)』が、この分野においてよく知られています。

 こうした文化的な流れが後の時代にも引き継がれ、『曹操(そうそう)/字:孟徳(もうとく)』――三国志の主人公の1人――に主導された『建安文学(けんあんぶんがく)』の隆盛にも繋がります。

  

 後漢の時代になると、知識人の教養がより深まり、一定の地位を有した者たちであれば、自分たちの思想・信条を持つようになりました――もっとも、それらは(概ね)儒教に基づいていましたが。

 かつては弾圧されることもあった儒教ですが、前漢になると保護され、と後漢では国教〈注6〉とされるまでに至っていたからです。

 

 この儒教を教える当時の国立大学(官立の高等教育機関)が『太学(たいがく)』です。

 前漢末頃の太学の『弟子員(ていしいん)/学生のこと』の数は千人程度でしたが、後漢10代目の『質帝(しつてい)』の時代になると、洛陽(首都)の太学に遊学する者たちが3万人を超えたそうです。

 上記の状況は、それだけ儒教が社会に浸透していたことを示していましたが、紙の流通もそれを促進し、前述した通り(儒教を核として)後漢の人々の教養を向上させることになりました。

 その結果の1つが、『清流派』と呼ばれる知識人の政治勢力の誕生です。

 儒教的な理想を抱いた彼らの中には、弾圧されても腐敗政治に対する批判を直言する者たちがいました。

 

 また、前述した曹操を支えた有能な参謀集団(軍師・政治顧問)も、そうした後漢の風土に育まれた名士(儒教的知識人)たちでした。

 皮肉なことに、そうした高い文化レベルだったからこそ、曹操は、権力の強大化に任せて漢王朝から帝位を簒奪することに対し、慎重にならざるを得なくなりました。

 

 曹操は、他の群雄に先駆けて(戦乱で放浪していた)後漢の皇帝『献帝(けんてい)』を保護し、天下に対して大義を唱えることができました。

 この政策は、曹操に大きな利益(人材集めなど)をもたらしましたが、曹操の臣下の中には漢王室に敬意を抱いている者たちもいて、彼の野心的な行動に反対したのです。

 その中には、『王佐の才』と謳われた曹操陣営の代表的な軍師『荀彧(じゅんいく)/字:文若(ぶんじゃく)』までいました。

 

 同じ乱世でも、欲望剥き出しの印象が強い『春秋・戦国時代(しゅんじゅう・せんごくじだい)』と比べると、後漢末~三国時代の人々は、大なり小なり教養と政治的信念を持った人々が少なくなかったのが特徴でした。

 その理由としては、(製紙法の改良などに後押しされ)後漢において文化レベルの向上があったことも原因だと思われます。


【注釈 6~7】

 

■注6 前漢になると保護され、新と後漢では国教

 前漢の『武帝(ぶてい)』は『董仲舒(とうちゅうじょ)』の献策を受け入れ、五経博士を設置し、儒教を官学とした。

 上記により、儒教が国教化されたとするのが伝統的な理解であったが、現在ではこれはほぼ否定され、儒教の国教化は少なくともの時代にまで下ると考えられている。

 

■注7 漢書が未完成のまま班固が亡くなった

 班固は後漢の大将軍にして外戚『竇憲(とうけん)/字:伯度(はくど)』に従って匈奴との戦いに従軍したことがあった。

 永元4年(92)、竇憲が失脚すると、班固は竇憲一派と見なされてこの事件に連座し、獄死した。 

③迷信(予言など)の流行

ノストラダムスの大予言

 『ノストラダムスの大予言』は、1973年に祥伝社から発行された五島勉の著書です。

 

 フランスの医師・占星術師だった『ミシェル・ノストラダムス(Michel Nostradamus)』は『予言集(初版1555年)』という本を書きましたが、五島勉の著書は、ノストラダムスの伝記や逸話を交えてこれを解釈するという体裁をとっていました。

 この書籍では、(予言詩の1つについて)「1999年7月に人類が滅亡する」〈注10〉という解釈を掲載したことにより、公害核戦争などで将来に対する不安を抱えていた当時の日本でベストセラーになりました。

 

 1970年代はこの書籍の件だけでなく、(超能力者と称する)『ユリ・ゲラー(Uri Geller)』の来日(⇒超能力への関心)、そしてピラミッドパワー心霊現象UFOUMAネッシー他)などの様々なオカルト的話題がブームとなり、その後の新興宗教を誕生・隆盛させる心理的な土壌を形成しました。

 その恩恵に与った1つが『オウム真理教』です。

 

 1995年、オウム真理教は革命を目指した事件を引き起こしましたが、『予言を含めたオカルトの流行⇒新興宗教の勃興⇒新興宗教の事件(反乱)』という流れは、すでに後漢時代から見られたのです。 

 

𒉡画像引用 Wikipedia

滅亡予言を聞いた時の正しい(?)反応

𒉡画像引用 講談社(MMR-マガジンミステリー調査班-)

易姓革命

 画像は左側が古代(の末期)の『(かなえ)』であり、右側が『伝国璽(でんごくじ)』です。 

 戦国時代までの古代中国では『九鼎(きゅうてい)』と呼ばれる鼎、最初に中国大陸を統一した秦王朝では『玉璽(ぎょくじ)』が、『王権の象徴〈注11〉』でした。

※易姓革命について解説するに当たり、古代中国版『レガリア』の画像を載せてみました。 

 

 さて、中国の『天子=支配者』は、建前上『(道徳性)』の高さが前提となっていました。

 故に――というわけでもないですが、各時代における王朝の徳が失われれば、『禅譲(王位または帝位の譲渡)』または『放伐(武力による打倒)』によって、別の徳の高い人物が天子の座を受け継ぎ(実質的には簒奪して)新国家を築くというのが、易姓革命――「姓を易(か) え、命(=天命)を革(あらた)める」という意味――の論理です。

 

 易姓革命による中国王朝の交代は、陰陽五行思想と結びつけられ『五徳終始説(ごとくしゅうしせつ)〈注12〉』が唱えられるようになりました。

 この思想は、讖緯説(予言的学説)とも関連づけられ、王朝交代の前には、天意により、その予兆となる現象や災異が発生するという理論が考えられるようになりました。

 

 後漢において発生した複数の反乱においても、上記の思想が参考とされる場合がありました。

 すなわち、五行思想における『火生土(かしょうど)=火より土が生まれる』の法則に基づき、反乱の指導者たちの中には(火徳とされた漢王朝に次に生まれる)土徳の王朝を建国する意志を示した者たちがいたのです。

 これは、後漢の衰退を決定的にさせた『黄巾の乱』でも同様でした。 

 

𒉡画像引用 Wikipedia

 儒教の経典(経書)『論語』には――

 

 子不語怪力乱神

子は怪力乱神(かいりょくらんしん)を語らず

孔子は、怪しげなこと、力を頼むこと、世を乱すようなこと、鬼神に関することについては語ろうとはしない)

 

――という言葉があり、これは儒教の合理主義的・現世主義的な部分を言い表しているといわれています。

 しかし、庶民にまで『名教(儒教倫理)』が浸透するほど儒教が隆盛した後漢では、この教えに反し、迷信への傾倒も強かったようです。

 

 前漢から後漢にかけて『讖緯説(しんいせつ)〈注8〉』という予言的な学説な流行しましたが、後漢の建国者である『光武帝(こうぶてい)』もその信奉者であり、讖緯説を批判した者は採用されなくなったとか。

 最高権力者がこの調子だったため、当時の儒学者は先を争って『図讖(としん)』という吉凶を占う予言書を学んだそうです。

 『明帝(めいてい)/第2代皇帝』と『章帝(しょうてい)/第3代皇帝』も光武帝と同じく讖緯説を尊重しましたが、上記の時代は後漢の全盛期といわれています。

 そうした時代に讖緯説が公式に認められたためか、後漢の思想界は神秘的な傾向になりました。

 予言書が政治の場で大真面目に取り扱われたり、各地に現われた怪現象・怪人物が大きな話題になったりもしました。

※「天災が天意の現れだ」という思想も、この時期に形成されたようです。

 

 こうした状況は、『高度経済成長(1955年頃から1973年頃まで)』を成し遂げながらも『ノストラダムスの大予言〈注:左画像参照〉』が流行した現代日本を彷彿とさせます。

 見方を変えると、後漢の初期は、上記のような神秘的な思想や怪異を話題にできるほどの余裕があった『幸せな時代=平和で安定した時代』だったのかもしれません。

 

 ちなみに仏教が中国に伝来したのは、後漢の頃とされています。

 現在ではアジアを代表する宗教となった仏教も、当時の中国では新興宗教の1つ〈注9〉です。

 伝来初期は上流階級にしか知られていなかった仏教も、社会不安の醸成によって民衆にも信者が増えていったとか。

 仏教の『無我』の思想を理解するするに当たり、参考になったのが老荘思想の『無為』です。

 この2つの思想は部分的に近い要素があったので、当時の中国人に受け入れられ易かったかもしれませんが、それ故に、中国仏教が本来とは異なったものになってしまったともいわれています。

 

 さて、安定した時代であれば(後漢においても)予言は大した影響はなかったかもしれません。

 

 ( º дº)< 話は聞かせてもらった! 人類は滅亡する!

  ΩΩΩ< な、なんだってー!?

 

――という(ネタ的)会話は、後漢時代には(当然ながら)存在しませんが、社会不安が増大するにつれ、不穏な予言がより注目されたことでしょう。

 讖緯説は『易姓革命(えきせいかくめい)〈注:左画像参照〉』と結びつく思想だったため、後漢時代に発生した反乱の指導者たちもそれも利用して『』や『皇帝』を自称しました。

 このような時代にあって民心を集めたのは、儒教ではなく道教であり、この風潮により『太平道(たいへいどう)』と『五斗米道(ごとべいどう)』という道教教団の源流が発生することになったのです。

 そして、後漢最後の反乱である『黄巾の乱』において、以下のスローガンが唱えられました。

 

 蒼天已死 黄天當立 黄天當立 歳在甲子 天下大吉

(蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし。歳は甲子に在りて、天下大吉)

 

 上記の文の詳細な解説は後の記事でしますが、『蒼天已死(蒼天すでに死す)』についてのみ言及すると、これは一般的に「漢王朝はすでに死んだ」という意味で解釈されています。

 つまり、乱を引き起こした太平道の指導者たちは「人類は滅亡する!」とまでは言わないまでも、「自分たちの国家(後漢)はすでに滅亡した!」と主張したわけです。

 

 古代のことを無理やり現代に当て嵌めるのもなんですが、これは、現代日本において「日の本(=日本)すでに死す」とスローガンを掲げて革命を起こすようなものです。

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※余談となりますが、(保育園落ちた)日本死ね!!!と『はてなブログ』の匿名ダイアリーに投稿した人はいました〈リンク〉。

 これも一応『国家の死(罵倒?/願望?)』に関係する発言です。

 革命を目指した『黄巾の乱』と比べると、極めてスケールの小さい話ですが――投稿した人にとっては切実な問題でしょうが――そこが日本人(?)らしいといえるのかどうか……。

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 これから日本がさらに衰退し、治安が悪化し続けていけば、日本という国そのものを憎む人々も増加してくることでしょう。

 日本を侵略したい外国勢力にとって、そういう人々はとても都合のよい存在です。

 状況によっては、彼らを利用して皇室の解体まで含めた革命の扇動や支援をするかもしれません。

 『黄巾の乱』は外国とは関係がありませんでしたが、現代において日本で革命が起こる可能性を考えるなら、上記の展開が予測できます。

 

 外国勢力が関わるかどうかはともかくとして、社会不安が高まった社会において、過激な宗教やオカルト的思想が民心を集め易いのは、古今共通の傾向です。

 そういう意味では、上記の歴史も現代において参考になるのではないでしょうか。

  

 では、今回はここまでとし、次回は後漢の特徴の続きについて解説する予定です。

 後漢社会における滑稽なまでの偽善は、同じく偽善に満ちた現代社会においても考えさせるものがあることでしょう。


【注釈 8~12】

 

■注8 讖緯説(しんいせつ)

 中国の前漢から後漢に流行した経書の解釈に仮託した予言的な学説。

 

 『(しん)』とは「詭って隠語をつくり、あらかじめ吉凶を決する(一種の未来記・予言)」ことであり、『図(と)』または『図讖(としん)』とも呼ばれる。

 『緯(い)』は横糸のことであり、縦糸を意味する経に対して「経の支流にして傍義に衍及(えんきゅう)すること」――つまり経書を解説・敷衍したもの。

 讖と緯は別物だが、実際は共存し、緯書はほとんど讖の要素を含んでいるので一括される。

 

 素朴な未来記はいつの時代にもあるが、讖緯思想としてまとまったのは、前漢の末頃(哀帝平帝の時代)というのが大方の定説となっている。

 讖緯説の予言を最初に利用したのは、前漢から帝位を簒奪した『王莽(おうもう)/字:巨君(きょくん)』であり、後漢を復興した光武帝も讖緯説に傾倒したという。

 

■注9 仏教も、当時の中国では新興宗教の1つ

 中国への仏教伝来は一番早い説が紀元前2年であり、最も遅い説が67年。

 この時期の仏教は、ブッダの音訳である『浮屠(ふと)』と呼ばれていた。

 当初はあくまで上流階級の者による異国趣味のものに過ぎなかったようだが、社会不安が醸成されるにつれ、民衆の中にも信者が増えて教団が作られるまでに至ったらしい。

 

■注10 「1999年7月に人類が滅亡する」

 上記の予言を表わす詩は、五島勉の著書では以下のように紹介されている。

 

 1999年、7の月

 空から恐怖の大王が降ってくる

 アンゴルモアの大王を復活させるために

 その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに支配に乗り出すだろう

 

 この詩には複数の訳し方があるため、上記の和訳が適切かどうかは議論がある。

 この詩から確実に読み取れるのは、「恐怖の大王は1999年に空から来る」と「(恐怖の大王は)アンゴルモアの大王を甦らせる存在だ」ということだけらしい。

 

■注11 王権の象徴 

 古代中国における最初の王権の象徴は『九鼎(きゅうてい)』だった。

 これは、夏王朝の始祖『(う)』が建国時に九州(中国全土)から青銅を集めて鋳造したものとされ、以後は戦国時代までそれを所有する者が天子とされていた。

 『』が『』に滅ぼされた時、時の秦王である『嬴政(えいせい)/後の始皇帝』は九鼎を秦に持ち帰ろうとしたが、それは混乱の中で泗水の底に沈んで失われた。

 そこで、嬴政は新たに『玉璽(ぎょうじ)/皇帝用の印』を作り、これを王権の象徴とした――これが伝国璽である。

 伝国璽の印文には、以下のうち、いずれかの文言が『篆書(てんしょ)』で刻印されていた(とされている)。

 

 受命于天 既壽永昌(命を天より受け、としながくしてまた永昌ならん) ※出典:呉書韋昭編纂)

 受命于天 既壽且康(命を天より受け、としながくして且つは康からん) ※出典:漢官儀(応劭編纂)

 

 伝国璽は『秦』から『漢』、そして、その後の長い戦乱を経て『』『』の時代まで受け継がれたが、『五代十国時代(ごだいじっこくじだい)』になってついに行方不明になったという。

 もっとも、伝国璽は本当に象徴的な物であり、漢の時代からすでに実用的な玉璽が作られていた。

 それが『天子の六璽(ろくじ)』であり、皇帝が出す詔勅の内容に応じて『皇帝之璽』『皇帝行璽』『皇帝信璽』『天子之璽』『天子行璽』『天子信璽』という文字が刻印された玉璽が使われた。

 

■注12 五徳終始説(ごとくしゅうしせつ) 

 五徳終始説は、戦国時代の陰陽家鄒衍(すうえん)』が唱えた説である。

 それによると、天地開闢以来、王朝はそれぞれが有する五行の徳に応じて一定の順序に従って変遷するという。

 五徳の推移は、水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つという五行の相剋とされたが、漢代に入ると、五行相生による五徳終始説も唱えられるようになり、この説によって禅譲による王朝の交替が説かれた。

参考・引用

■参考文献

●三国志〈1〉転形期の軌跡 丸山松幸、中村原 訳 松枝茂夫、立間祥助 監修 徳間書店

●正史 三国志 陳寿、裴松之 著 ちくま学芸文庫

●後漢書 本紀 范曄 著 吉川忠夫 訳 岩波書店

●千年王国運動としての黄巾の乱 三石善吉 著

●同志社女子大学 学術研究年報 2010年 第61巻

●『天経或問』の受容 吉田忠 著

●「三国志」の迷宮 山口久和 著 文藝春秋(文春新書)

●現代に息づく陰陽五行  稲田義行 著 日本実業出版社

●超雑学 読んだら話したくなる 幸運を招く陰陽五行 稲田義行 著 日本実業出版社

●ノストラダムスの大予言 迫りくる1999年7の月人類滅亡の日 五島勉 著 祥伝社

●ぼくらの昭和オカルト大百科 初見健一 著 大空ポケット文庫

●今を生き抜くための70年代オカルト 前田亮一 著 光文社

●MMR-マガジンミステリー調査班- 石垣ゆうき 著 講談社

 

■参考サイト

●Wikipedia

●WIKIBOOKS

●Wikiwand

●Weblio辞書

●ニコニコ大百科

●ピクシブ百科事典

●コトバンク

●goo辞書

●もっと知りたい! 三国志

●光武帝と建武二十八宿伝

●後漢人物名録

●漢方医列伝

●北條路山のblog

●ノストラダムスの大事典

●リベラルアーツガイド

●広辞苑無料検索

●易経/陰陽五行 こやまとしのりのブログ

●はじめての三国志

●古代中国の戦争